明大レスリング部OB会より
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明大レスリング部のあゆみ
 
 
 
 
昭和12年(1937)
 
5月、日本アマチュア・レスリング協会では内部機構の充実を図り、次の役員に拡充する。
副会長に野口寛就任。
【会  長】 今月次吉
【副 会 長】 野口 寛(日本窒素肥料蠎萃役)
【専務理事】 八田一朗(早大)
  五島三雄(慶大)
  山本千春(早大)
【理  事】 伊集院浩(明大)
  桜井尚雄(早大)
  田鶴浜浩(早大)
  八田嵯武朗(早大)
【審 判 長】 丹波幸次郎(早大)
【顧 問 医】 小平 正(慶大)
 
早稲田大学一色の当時のレス協である事が分かる。
5月、関東学生レスリングリーグ戦は早・明・専・慶の順。
7月13日、第1回日米対抗戦を挙行。レスリング協会が主催した戦前最大のイベントであった。
金ジョンソク
(ライト級)
山村正之
(バンタム級)
豊田清
(ミドル級)
第1回日米対抗戦
第1戦・7月13日(6:30)於日比谷新音楽堂 主催:関東学生レスリング

昭和12年春関東学生リーグ戦優勝校

 
早稲田大学
3
VS
4
米国
【バンタム級】
黒田
(海老固11'20")
フランク太田
 
(判定)
キリンガー
【フェザー級】
中野
(両脚取09'55″)

モーア
 
川田
(判定)
マスディオ
【ライト級】
西出
(判定) 
ブルノー
【ウェルター級】
風間
(体固13'10″)
ジャクソン
【ミドル級】
平松
(体固08'10″)
マドレー
 
第2戦・7月18日(7:30) 於西宮球場 主催:大日本アマチュアレスリング協会
 
全日本選抜軍
4
VS
3
米国
【バンタム級】
石井(専)
(判定)
フランク太田
 
山村正之(明)
(海老固09'51″)
カイトリンガー
【フェザー級】
林(早)
(判定)

モーア
 
中野(早)
(判定)
マスディオ
【ライト級】
金ジョンソク(明)
(判定)
ブルノー
【ウェルター級】
風間(早)
(海老固11'42″)
ジャクソン
【ミドル級】
豊田清(明)
(判定)
マドレー
 
第3戦・7月25日(6:30)於日比谷新音楽堂 主催・報知新聞社
 
全日本選抜軍
2
VS
5
米国
【バンタム級】
黒田(早)
(判定)
カイトリンガー
 
石井(専)
(判定)
フランク太田
【フェザー級】
川田(早)
(判定)

モーア
 
西出(早)
(判定)
マスディオ
【ライト級】
風間(早)
(判定)
ブルノー
【ウェルター級】
菊間(慶)
(判定)
ジャクソン
【ミドル級】
ボロビヨフ(早)
(たが固16'42")
マドレー
※米国チームで出場したフランク太田は、その後早稲田に入学し、リーグ戦で活躍した。
※試合時間は20分(スタンド6分、グランド4分・4分、スタンド6分、ピンフォール)であった。
 
11月、第4回全日本選手権大会でフェザー級・吉岡秀市、ライト級・金ジョンソクの両名が優勝。
明大レスリング部が輩出した
“全日本選手権覇者一覧”
 
昭和13年(1938)
6月、4大学春のリーグ戦の結果は明・早・専・慶の順。優勝した我が部は6連覇のスタートを切った。(第5代主将・吉岡秀市)
この年、秋のリーグ戦が中止された。日本アマ・レス協会の傘下である関東アマ・レス協会と学生レスリング連盟の対立が交渉分裂となり、その結果、10月13日関東レスリング協会は解散したが、明・専と早・慶の離反の余燼治まらず、日本レス協の総会に移行した。
 
10月、レスリング協会ではフィリピン遠征を挙行し、フェザー級に亀井薫佳が出場。4戦4勝の成果を挙げた。
【監督】 山本千春(早大・出)
バンタム級 今井(早大) 4勝
フェザー級 亀井薫佳(明大) 4勝
ライト級 畠山(専大) 3勝1敗
ウェルター級 菊間(慶大) 1勝3敗

亀井薫佳
(フェザー級)

 
 
11月、早大レスリング部は風間栄一主将以下7名でアメリカ遠征を挙行した。成績は10勝2敗。
同月の第5回全日本選手権大会(於・神田国民体育館)は日本、アメリカ、ドイツの選手が参加。バンタム級・栗原盤、ライト級・吉岡秀市の両名が優勝。
 
 
昭和14年(1939)
2月、関東アマ・レス協会と学生レスリング連盟の対立が、レス協の総会に於て和解。リーグ戦も本年から春・秋の2シーズンで再開した。
これらの紛争の原因は「八田と、学生に人気のある山本との対立が見え陰れている。(早大70周年史より)」
6月、春の関東学生レスリングリーグ戦の結果は、明・早・専・慶の順。
10月、秋の関東学生レスリングリーグ戦から立大が参加し、5大学となる。結果は明・慶・早・専・立の順。
 
 
 
11月 第6回全日本選手権大会(於・神田国民体育館)が挙行され、ウエルター級・鷲見了園、ミドル級・黄柄寛の両名が優勝。
明大レスリング部が輩出した
“全日本選手権覇者一覧”
 
昭和15年(1940)
4月、日本アマチュア・レスリング協会を大日本レスリング協会と改称。第12回オリンピックは東京開催と決定されていたが、戦雲急となり日本は返上した。その結果、戦後の再開は昭和23年(1948)第14回ロンドン・オリンピック大会となったが、日本の出場は昭和11年ベルリン大会より16年の空白の後、昭和27年(1952)第15回ヘルシンキ大会であった。
 
10月、秋の関東学生レスリングリーグ戦の結果は、明・早・慶・専・立の順。
12月、第7回全日本選手権大会(於・早大体育館)が挙行され、ライト級・清水礼吉、ウェルター級・鷲見了園、ミドル級・金石永の3名が優勝。

昭和16年(1941)
9月、大日本レスリング協会は初代会長・今村次吉の退任により、副会長・野口寛(日本窒素肥料蠎萃役)が第2代会長に就任した。
学生レスリング連盟に春季より拓大、秋季に日大が続いて加盟し7大学となり、リーグ戦も1部・2部制となった。
11月、第8回全日本選手権大会(於・軍人会館)が挙行され、ミドル級・黄柄寛が優勝。
 
  
野口寛(1909〜1970)
日本窒素コンツェル(17社)創始者
勲一等瑞宝章
野口遵の長男として大阪に生まれる。
早大商科卒。
三菱商事を経て(財)野口研究所理事長。
日本窒素蠎萃役。
昭和12年5月
日本アマチュアレスリング協会副会長
昭和16年9月〜昭和22年3月
大日本レスリング協会会長
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