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明大レスリング部のあゆみ
 
 
朝鮮人退部命令
   
 
昭和16年(1941) 12月8日、太平洋戦争が戦端を開く。
翌昭和17年春、重大事件が勃発した。
清水礼吉(昭和15年卒・6代主将)が、少尉の軍装で道場へ来た。
時の主将村田恒太郎に「おい!今日から朝鮮人を退部させる」と言う。理由も言わず、理非も問わずだ。軍部体制の時代であり、これは「命令」であった。
金ジョンソクを昭和15年の主将に指名したのは清水であった。当時、日本スポーツ界における朝鮮人の主将は、昭和13年・李相伯(早大バスケット)との二人だけであった。
明大の公平な広い心意気が誇りであり、得意であったのだが…。
金ジョンソク、金玉圭、梁在憲、朱鳳徳らは卒業していたが、在校生である金兢煥・郭東充、黄柄寛、金石永らの心中はどのようなものであったのか…黙って去る者、道場の隅に俯く者、「お前らの態度が悪いからだ!」と後輩に八ツ当りの鉄拳を挙げる者…。
我々には涙だけで言葉はない。翌日には1人もいなくなった。我々には朝鮮人を区別する気長ちは全くない。
同じ釜の飯を食った兄弟であり、心を一つに「打倒早大」に燃えて汗を流しあった友人たちである。その彼らが今日、無謀な退部命令で去っていった。

付記=同志のその後
退部した朝鮮の同志は、戦後の韓国レスリングの草創者となり、金ジョンソクは始祖と尊敬され、金兢煥は韓国レスリング協会会長に就任し、郭東充は先生と称された。
昭和23年(1948)、第14回ロンドン・オリンピック大会に、敗戦国日本は国際連盟からの公認を得られずに出場できなかったが、韓国代表として金兢煥、黄柄寛、金石永が出場し、羽田経由でロンドンに出発した。黄柄寛、金石永は昭和25年(1950)、朝鮮戦争に巻き込まれ、共産党に暗殺されたとの悲報があったが、今は皆故人となった。(黙祷)
現在、韓国レスリング選手が強いのは、これら明治大学レスリング部出身の強豪選手が、変わらない明大スピリットをもって指導した結果であり、現在まで韓国レスリングに継承されている事は、些かながら誇りに思う。
金兢煥
(昭和16年卒)
戦後、韓国レスリング協会会長となる。
 
 1986年 ソウル・プレオリンピック
 
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