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明大レスリング部のあゆみ
 
 
回想録
減量に苦しんだ明大レスリング部時代
 
 
向山安雄(昭和13年卒)
 

昭和10年春である。初代主将松田滋夫が去り、2代目松代海三主将の時に入部した。ちょうどベルリン・オリンピック代表予選の時期であった。新興スポーツとして、レスリング界もその選考を巡って揺れていた。ある日、荒木学生課長(柔道部)と伊集院浩(相撲部・ラグビー部OB・毎日新聞運動部記者)に呼ばれた。
「お前は柔道としては小柄のほうだからレスリングの軽量級で頑張ってみろ。初段、2段は早慶にもいるが、お前のような4段はいないぞ・・・」と、くすぐるような話である。柔道部三船久蔵師範に相談したところ、柔道とレスリングの両立を許可されたので入部に踏み切った。
その頃の部員は、柔道部から豊田清、松野内高市、根本立が、相撲部から水野幸一、吉岡秀市、伊庭保雄が、その他、山村正之、倉恒至明、清水礼吉、水谷完二がおり、皆、一騎当千の猛者の面々であった。

翌11年秋、学生リーグ戦(第1回)には、創部3年目で早稲田を破って優勝。斯くて、打倒早大を旗印にした明大レスリング第1期黄金期を迎えることになる。3代主将、山村正之の時である。
入部後、伊集院コーチからは、「先ずフライ級に下げろ。グレコを専門に練習しろ。部員こ柔道を教えろ(主に、投げ技)」と言われ、三船師範からは「学柔連と講道館の試合には必ず出ろ」と言われ、本館地下の柔道道場と、中庭隅に新築なったバラック建の2階のレスリング道場を往復する毎日だった。
体重制のない柔道と、減量がつきもののレスリングの掛け持ちはかなり厳しいものだった。減量が下手でチームに迷惑をかけた事も思い出である。しかし、この明大レスリング部で、私とレスリングの繋がりが始まった。戦後第9回国体の北海道開催に際し、昭和27年北海道レスリング協会を創設し、以来40年間会長を務めた(現在名誉会長)。
その間、道産子の中央大学レスリング部が主流となり、オリンピック代表選手17名(金メダル5名)を育成輩出したが、私の体に満ち溢れた明大レスリング魂の証と言えよう。
思えば私の人生87年のうち、70年近くをレスリングと関わり合ってきた事になる。北海道スポーツ賞、北海道栄誉賞、文部大臣賞、国民体育大会功労賞、叙勲等々は、明大レスリング部からの贈り物と心得ている。
ここに、我が明治大学レスリング部の星霜70年の歴史の歩みを回顧するとともに、更に新たな飛躍を遂げることを切に念じて止まない。
 

 

(了)
 

本稿著者(現役時代)
 
 

種谷忠世(左)
清水礼吉(右)
(昭和12年頃)
制服制帽での登校
 
 

村田恒太郎(左)
竹内賢治(右)
(昭和14年頃)
 
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