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明大レスリング部のあゆみ
 
 

明治大学レスリング部再建
 
 
昭和21年7月15日、3年半の中支戦線から「右肩胛骨盲管手榴弾破片創三ケ所」のおみやげを持って廃墟の東京に起った。懐かしい地下道場に一直線。清水礼吉先輩、竹内賢治、弟の久隆(第10代、戦前最後の主将)、伊坂孝(マネージャー)が居た。嬉しい一瞬であった。そして、戦後の入部者の第1号は田口、町田、矢田らがいた。

昭和21年10月、大阪市立中学校柔道師範、小田原徳善7段(昭和10年卒)は、当時の占領政策により柔・剣道が禁止され廃部の運命である柔道部をレスリングに転向する為、レスリングの指導を委嘱されたのが機縁となり、後に小田原宅に寄寓し大阪市立中学校レスリング部の指導をする事となった。

その頃、竹内久隆と相談し、明大商学部に入学して現役に復活した。戦後のレスリング部の再建とリーグ戦に参加しようという事である。

昭和22年、大阪市立中学校は新制となり(大阪市立高等学校と改称) レスリング部も卒業となり夫々の進学希望に分かれた。明治大学には、井削、富永、西村、畠中、大野、藤田(良)ら、次いで翌年石橋、橋本、竹中、平松、藤田(安)らが続々と明大レスリング部に入部する事となった。

他に、大阪市立高校から慶応大学へ進学した北野祐秀が、昭和27年第15回ヘルシンキオリンピックでフリー・スタイル、フライ級に出場し銀メダルを獲得、後に関西大学の市口政光は昭和39年第18回東京オリンピックのグレコローマン・スタイル、バンタム級で金メダルを獲得した(レスリング日本代表は5個の金メダルを獲得し、全盛期であった)。

関西大学には安川、宇賀、押立、友田、田中らの主力が進学し、大阪専門学校から初代主将になった下村正三が加わり関大レスリング部が創設された。これを機に初代監督に就任した。次いで関大、関学、同志社、大阪専門(後の近畿大学)の4大学リーグが結成した。 一方、大阪府レスリング協会を創立し、会長に小田原徳善、理事長に村田が就任した。
この頃は、東京(明大)→大阪(関大)を駆け回っておりレスリング馬鹿の毎日であった。

昭和22年11月30日、第11回全日本選手権大会が明大体育館で開催された。
 
柴田佳石 作:第5回文展出品
『壮者』(昭和17年)
モデル:村田恒太郎(第9代主将)
  第11回全日本選手権大会
【フライ級】 栗原盤(明大OB) (判定) 細田(早大)
【バンタム級】   星野(早大)   (判定) 岩橋(早大)
【フェザー級】  村田恒太郎(明大) (判定) 道明(博)(早大OB)
【ライト級】 水谷(慶大) (判定) 松江(中大)
【ウェルター級】   風間(早大OB) (体固) 伴(早大)
【ミドル級】 三原(慶大) (判定) 河合(関学)

 

 
昭和23年10月第3回国民体育大会(大牟田市)
明大・関大が統合した大阪府代表選手団である。
後列左から
山本(マネージャー、関大)、黒木(関大)、井削(明大)、下村(関大)、安藤(同志大)、藤田(明大)
中列左から
押立(関大)、木村(晴、関大)、安川(関大)、宇賀(関大)、木村(勝、関大)
前列左から
富永(明大)、小田原(監督、明大)、村田(主将、明大)、西村(明大)
 昭和23年第3回国民体育大会(大牟田市)では、大阪府代表として、鹿児島県代表の吉岡秀市先輩とフェザー級の決勝を戦った楽しい思い出があった。
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