明大レスリング部OB会より
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明大レスリング部のあゆみ
 
 
昭和22年 1年365日の内、350日をレスリングに明け暮れる
我が学生レスリングの思い出・・・続き
 
当時のレスリング部は水谷監督、町田キャプテン、伊坂マネージャー、矢田道場取り締まりの他、トンピのマントを着た変な人や全身バネのような角刈りのオッサン(今考えると、それは竹内(兄)先輩であり、村田先輩であった)など、この人達を含めてわずか5〜6人の部であり、そこに新入部員として我々が大挙入部したのであった。

今それらの仲間の名前を思い出して列挙すると、まず大阪の小田原先生の教え子である大阪市立中学から井削、富永、西村、藤田(兄)、畑中、大野、山川、九州から宮崎、和泉、若杉、東京から今井(一)、田口、押野、府川、新潟から霜鳥等である。これら15名の内1年で消えた者が4名おり、専門部で終わった人もいたため、実質6年間を共に過ごした仲間は私を含めてわずか4名だった。

1年365日の内、なんと350日近くが練習だ、試合だ、やれ合宿だと、まったく息を抜く暇もない毎日で、しかも当時はろくに食い物もなかった。主食の米は配給制度で1日2合3勺。それもひと月の内せいぜい20日分あれば多い方で、あとは農家を歩いて芋や粉を分けて貰った自己調達品で飢えを凌いだ時代だ。

地方からの部員は全員、当時京成電鉄の堀切菖蒲園にあった大学の「白雲寮」に入っており、正にその食生活のひどさは想像に余りあるものと思われた。自分の家から通っていた私などはまだ幸せな方で、母が工面した銀シャリの弁当を持って行くことができた。ところが、この弁当をうっかり部室に持って行こうものなら大変だった。たちまち白雲仲間に見つかり、薄手ではあるが今でいうB5版ぐらいの大きさの弁当箱の中は見事に6等分され、本人も6分の1しか食えないといった笑えない現実があった。
(次ページに続く)
 
昭和22年(1947)
  出来事
  ○ 農地改革
  ○ 6・3・3・4制の新学校制度開始
  ○ 独占禁止法施行
  ○ キャサリン台風
  ○ 関東大学箱根駅伝復活
  流行語
  ○ カストリ雑誌
  映画
  ○ ガス灯
  流行歌
  ○ 東京ブギウギ

明大レスリング部と日本レスリング界の出来事
5月
天皇ご一家がお成りになって開かれた都民体育大会にレスリング協会も参加。
  東日本学生リーグ戦(春)1部
優勝=早大
明大=3位
9月
東日本学生リーグ戦(秋)1部
優勝=早大
明大=3位
10月
全日本選手権大会
フライ級  鎌田盤   優勝
フェザー級 村田恒太郎 優勝
11月
一応形の整った第2回国民体育大会が金沢市を中心に開催。
レスリングは東西対抗戦を行ない、東軍が8-1で西軍に勝利。
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