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明大レスリング部のあゆみ
 
    国際審判員としての四半世紀
田口 美智留
 
在学中、マネージャーとして戦後初のヘルシンキオリンピックに二人の友、フェザー級富永、ライト級霜鳥を送り出した。マネージャーの私としては彼等の活躍もさることながら、競技者としては無理なことは百も承知していたが「いつか俺もオリンピックの舞台に立つぞ」の堅い信念に駆られ、レフリーの国際審判を目指した。そのため学生時代にはリーグ戦で、OBになってからも各種試合で笛を吹き続けたのである。
 
時あたかも1964年。東京オリンピック開催を控えて各競技団体に特別強化対策として海外遠征が認められ、1961年11月からソ連を手始めに約2ヶ月に及ぶ遠征に、私も審判兼チームマネージャーとして選ばれたのである。待望の国際審判員としての初船出であり、しかも我が明治大学からフリー、グレコを含めて4人の選手と共にである。当時はまだ一般渡航のできなかった時代であり、遠征先の各国より招待状を貰い、外務省から渡航先の全国名の入ったパスポートを貰い、しかも外貨は1日一人15ドルと決められており、その金額までパスポートに記入されるといった時代であった。

これを皮切りに1976年まで毎年自費での笛吹き行脚。やれルール改正の会議だ、アジア大会に世界選手権だと、多い時には年に3回の海外。お陰で当時の国数にして38ヶ国。そのころソ連もユーゴスラビアも1つの国であり、今ではソ連だけでもロシアを筆頭に15に分裂。まさに光陰矢の如しとはこのことか。

1980年、モスクワオリンピック不参加を機に、私の笛吹き人生は終末を告げ、IFのブリテンに名誉審判としてその名を残すのみとなった。今、私の手許に残る審判としての思い出は、イランのテヘランとポーランドのカトビッチの世界選手権の2大会で、ベストレフリーの表彰をFILAから受け、その時に貰った2個の金メダル。そして、表彰台の上で右手を高々と挙げて吹いた、あのホイッスルの音。ともに生涯忘れ得ぬ思い出である。
 
 
左手前から
田 口(審判兼マネージャー)
阿 部(フリー・ライト級)
風 間(グレコ・ミドル級)
佐々木(グレコ・ウェルター級)
梶 川(グレコ・ライト級)

世界選手権にて
 

 

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