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明大レスリング部のあゆみ
 

練習熱心な熱血漢キャプテンは大器晩成

〜 阿部一男 〜
 
フェザー級の選手として明大レスリング部に入部した阿部。当時の部員は皆、例外なく「我々の世代を一番に引っ張ってくれた選手だった」と口を揃える。3年時に退部したが、阿部の口添えでその後国体出場を果たし、OB会への入会を認められた部員もいたという。阿部の部員を思いやる気持ちを表すエピソードだ。

筋肉質の体躯だった阿部のタックルは、部員に強い印象を残している。
「『ど−ん』と胸から相手にぶつかり、すぐに体勢を立て直す様は、本当に迫力がありました」と部員のひとりは話す。

当時、60名〜70名の部員を有していた明大レスリング部。スパーリングはリングを部員全員で取り囲み、6、7名が一度に行う迫力のあるものだったという。そんなときでも阿部は誰よりも率先してスパーリングに参加し、後輩からは「鬼の阿部」と異名を取っていたのだとか。そうした過酷な練習が、結果として優れた後進を生み出すことになり、その意味でも阿部の功績はおおきかったと言えるだろう キャプテンとして活躍をした阿部は、部恒例のランニングでも誰よりも率先して走った。
「副キャプテンに後ろを走らせればいいものを、自ら前に後ろに回って走って皆に気合を入れていた姿が印象的です。結果として、誰よりも長い距離を走っていたはず」と、当時の阿部の姿を懐かしむ声も聞かれた。

怪我をした部員を「見るだけでも練習になるのだから」と道場へ誘うこともあったという。また、自らにも厳しく、世界選手権に相手に股裂きをかけられ、試合後、猛特訓の末に会得する努力家の一面もあった。

学生時代は無冠に終わった阿部。4年時にライト級にウエイトを上てからが、固りが言うところの「本領発揮」となった。卒業後昭和35、36年と全日本社会人で連覇。同37年の全日本、アジア大会での優勝まで、その快進撃が続いたという。
 

 

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