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明大レスリング部のあゆみ
 


生真面目で人望も厚かった74kg級の逸材

〜 小柳美代志 〜
 小柳は高校2年、3年時にインターハイ、国体での優勝経験を持つ。
68kg級だった弟も高校時代から小柳同様に活躍した。
「がに股の左を前にした独特の構えが印象的だった」と、当時の部員の一人は語る。

1年時からレギュラーの座を守った小柳は、3年時にはインカレと同時に、現在も秋に開催されている大学選手権の第1回大会「内閣総理大臣杯」の74kg級で優勝を果たしている。同年、明大レスリング部は団体3位と健闘した。小柳は翌年同大会でも優勝。回じく2年連続82kg級で優勝を果した長谷川正治と共に、当時の大学レスリング界ではずば抜けた存在だった。

「62kg級の多賀恒雄、82kg級の長谷川、そして74kg級の小柳。この3人の存在は心強く、団体戦でも3つの勝ちは確実に読めた。『あとはお前らがなんとかしろ』と無言で語る彼らは、何とも頼もしく思えたものだった」こんな部員のコメントからも、小柳の実力のほどをうかがい知ることができる。

ずば抜けたレスリングの実力同様、小柳は校内のマラソン大会で優勝を果す程の俊足の持ち主たった。朝練のランニングではその俊足のためか歩調が他の部員と合わずに「いちにちほいさっ」と懸命に掛け声を掛けながら走っていたという。

当時を知る部員全員が例外なく「真面目な人だった」と口を揃える小柳。酒も強く、どれだけ飲んでも決して乱れることはなかった。部員と合宿所近くの寿司屋へ1000円1枚を握り締め連れ立ち、当時1本250円のビール大瓶3本と並握りを楽しむこともあったという。
「つまみはガリとお通しで出てくるゲソだけ」と、当時を懐かしむ部員の声も。

卒業後は体育の教員となり、当初は国士舘大学で後進の指導に当たった小柳。
彼の葬儀には教え子が多数駆けつけ、その人柄を忍ばせたという。
 
昭和51年 明治大学対アメリカ学生選抜親善試合 本校校舎にて
明治大学の勝利
 

 

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